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平凡な日常にもドラマがある、映画『パターソン』から考える自分なりの幸せ

朝起きて、会社に行って、夕食を食べて、眠りにつく。映画『パターソン』は、そんな単純な日常にもやさしい彩りがあることを教えてくれる作品だ。

舞台はニュージャージー州のパターソン

本作の主人公は、妻ローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)と愛犬マーヴィンと暮らし、バスの運転手として働くパターソン(アダム・ドライバー)。物語の舞台であり、主人公と同じ名前のパターソンという町は、ニューヨーク州の隣ニュージャージー州にある。パターソンが劇中で好きな場所として挙げている滝“グレートフォールズ”を利用した絹産業が盛んにおこなわれ、その後はエンジン製造などの工業地として栄えていた場所だ。

監督を務めたジム・ジャームッシュは、本作の着想をウィリアム・カルロス・ウィリアムズ(以下WCウィリアムズ)の『パターソン』という詩集から得たそう。WCウィリアムズ自身もパターソンで暮らしていた人物だ。劇中ではパターソン自身も詩を綴り、彼の地下の狭い書斎にはWCウィリアムズの写真が飾られていて、ローラとの会話の中にも登場する。パターソンという場所がWCウィリアムズを魅了し、WCウィリアムズもまたパターソンという人間を魅了したのだ。

WCウィリアムズのおかげか、町自体にも詩が馴染んでいるような描写が登場する。仕事から帰る途中、パターソンは自分と同じようにノートに詩を書き留めている女の子に出会う。そして彼女はパターソンに「水が落ちる」という詩を読んでくれる。グレートフォールズが好きなパターソンは、その詩のインパクトからか、家に帰ってローラに読んであげるほど気に入っていた。

ちなみにWCウィリアムズだけでなく、映画の隅々まであらゆる詩人も登場する。パターソンのお弁当に入っていたのは、イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリの写真。ある夜、散歩をしている途中、コインランドリーから聞こえてきたラップの中で歌われるのもアメリカの詩人ポール・ローレンス・ダンバー。ローラとのディナー中、会話に登場するペトラルカもイタリアの詩人だ。

また、パターソンにまつわる有名人たちの話も、ローラやバーの店主との会話で当たり前のように交わされる。有名ボクサーのルービン・“ハリケーン”・カーター、ソウルミュージックデュオ・サム&デイヴのデイヴ、コメディアンのフロイド・ヴィヴィーノと弟のジミー、喜劇デュオ“アボットとコステロ”のルー・コステロ、イタリア系移民で無政府主義者のガエタノ・ブレーシ、WCウィリアムズから影響を受けた詩人アレン・ギンズバーグ……。地元出身者でなければ、少なくともアメリカ人でなければ、スルーしてしまうような固有名詞がどんどん出てくるので、日本人の私たちは一度では咀嚼しきれないかもしれない。しかし、それほどまでに地元の人たちがその土地を愛し、誇りを持っているということが伝わってくる。

一人の男性の日常に見るささやかな幸せ

そんな詩を愛するパターソンの日常ルーティーンも非常にシンプルで興味を惹かれる。平日は6時から6時半の間に起きて、シリアルを食べて、お弁当を持って出勤。バスを出す前に詩をしたためる。仕事が終わると自宅で妻ローラとご飯を食べ、腹ごなしにマーヴィンの散歩へ。散歩の途中で行きつけのバーに寄り、ビールを一杯。ささやかでありながら、愛があって、とても贅沢に感じられる日常だ。

また、携帯電話は縛られているようだから持ちたくないという彼は、“チープカシオ”と呼ばれる安くて機能性の高い腕時計だけを身に着けている。シンプルで、余計なものから離れようとするパターソンは、自分の世界の中でしっかりと生きている。キラキラとした世界で生きる主人公よりも、パターソンのように自分をしっかり持っている人物に憧れてしまうのはなぜだろうか。

さらにパターソンは、月曜日にローラから双子の夢を見たと聞いてから、一週間ずっと双子が目に留まるようになる。今まで気にしていなかったことを、あることをきっかけに意識するようになることがある。そのほか、バスが故障してしまうこと、ローラが微妙な創作料理を振る舞うことなど、毎日同じような日々を過ごしていると思っていても、ひとつひとつに違いがあって、尊いものなのだと感じさせられる。

マーヴィンが散歩の最中にいつもとは違う方向に行きたがったように、たまには違う道を辿ってみるのもいい。まさに「何があっても 日は昇り また沈む 毎日が新しい日」。起きる時間が違ったり、寝る体制が異なったりするように、何か変化は起きているのだ。単純に自分の心が動くことは何かを見つけ、それを大切に日々過ごすことの尊さが、この映画から伝わる最大のメッセージのように思う。

パターソンが大切に綴った詩

最後に、一週間でパターソンが書いた詩をまとめてご紹介する。実際には、詩人のロン・パジェットが手掛けた作品だ。

パターソンが詩を書いていたノートは、ローラにすらも見せられていない秘密が詰まったものだった。ローラはその才能を公開すべきだと思っており、週末にコピーさせてほしいと言ってくる。パターソンはそれを承諾するが、あまり気が進まない様子。結局ノートはマーヴィンに破られてしまい、そこに書いてあった詩を知るのは、世界でパターソンだけになってしまうのだった。ローラはマーヴィンを叱りガレージに閉じ込めるが、パターソンはマーヴィンを解放する。見てほしくないわけではないけれど、自ら見せたくない。そんな気持ちが伝わってくる一連のシーンからは、まるでそのノート自体が、誰もが抱える心の奥底に隠れた感情のようだと感じる。

映画に登場する日本人(永瀬正敏)が「詩の翻訳はレインコートを着てシャワーを浴びるようなもの」と言っていたように、日本語ではどうしてもニュアンスをそのまま受け止められないかもしれないが、パターソンの秘密の詩を覗くことができた私たち視聴者だけでも、引き裂かれたノートの代わりに、この詩を心に留めておきたい。 

「愛の詩」

我が家にはたくさんのマッチがある
常に手元に置いている
目下 お気に入りの銘柄は オハイオ印のブルーチップ
でも以前は ダイヤモンド印だった
それは見つける前のことだ
オハイオ印のブルーチップを
そのすばらしいパッケージ
頑丈な作りの小さな箱
ブルーの濃淡と白のラベル
言葉がメガホン型に書かれている
まるで 世界に向かって叫んでいるようだ

“これぞ世界で最も美しいマッチだ 4センチ弱の柔らかなマツ材の軸に ざらざらした濃い青紫の頭薬 厳粛に すさまじくも断固たる構え 炎と燃えるために おそらく愛する女性の煙草に 初めて火を付けたなら 何かが変わる

そんなすべてを与えよう”

君は僕にくれた
僕は煙草になり 君はマッチになった
あるいは 僕がマッチで君は煙草
キスに燃え上がり
天国に向かって くすぶる

「もうひとつ」

僕らは子供の時 3次元の存在を知る
高さ 幅 奥行き
たとえば靴箱だ
後年 4次元目があると聞く
時間だ
さらに可能性を知る
5次元 6次元 7次元と…
仕事を終えて バーでビールを飲む
グラスを見ながら うれしくなる

「詩」

僕は家にいる
外は心地よい
暖かく積雪の上に陽光
春の最初の日か 冬の最後の日
僕の足は階段を駆け上がり 外へ出る
上半身は ここで書き続ける

「光」

君より早く目が覚めると
君は僕の方を向いていて
顔は枕の上 髪は広がっている
僕は勇敢に君の顔を見つめ 愛の力に驚く
君が目を開けないかとか 脅えないかと恐れながら
でも日光が去ったら
君もわかるだろう
どんなに僕の頭や胸が破裂しそうか
彼らの声は囚われたままだ
まるで日の光を見られるのかと恐れる胎児のように
開口部がぼんやりと光る
雨に濡れた青灰色に
僕は靴紐を結び
階下へ下りてコーヒーを淹れる

「走行」

僕は走り続ける
何兆もの分子が
脇へどいて
道を作っていく中を
両脇には
さらに何兆もが
動かずにいる
フロントガラスのワイパーが
きしみ始める
雨は上がった
僕も止まる
角では
黄色いレインコートの少年が母親と手をつないでいる

「かわいい君」

僕のかわいい君
僕も たまにはほかの女性のことを考えてみたい
でも 正直に言うと
もし君が僕のもとを去ったら
僕は この心をずたずたに裂いて
二度と元に戻さないだろう
君のような人はほかにいない
恥ずかしいけど

「その一行」

古い歌がある
僕の祖父がよく歌っていた
歌詞は尋ねる
“君は魚になりたいかい?”
その同じ歌は 同じ質問を繰り返す
ただしロバやブタで
だが時々 僕の頭の中に響くのは 魚の歌詞
ただその1行だけだ
“君は魚になりたいかい?”
まるで それ以外の歌詞は
必要ないかのように

「水が落ちる」※パターソンが出会った女の子が書いた詩

水が落ちる
明るい宙から 長い髪のように
少女の肩にかかりながら
水が落ちる
アスファルトの水たまりは 汚れた鏡
雲やビルディングを映す
水は私の家にも
私の母にも
私の髪にも落ちる
人はそれを雨と呼ぶ

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伊藤 万弥乃

海外映画とドラマに憧れ、英語・韓国語の勉強中。大学時代は映画批評について学ぶ。映画宣伝会社での勤務や映画祭運営を経験し、現在はライターとして活動。シットコムや韓ドラ、ラブコメ好き。

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