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『オッペンハイマー』エンタメ映画としてのすばらしさと、抜け落ちた原爆描写

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クリストファー・ノーランは現代の映画作家の中で最も巨匠と呼ばれるに相応しい人物の1人だろう。ヒットメーカーでありながらコアな映画ファンからも支持される、今日び数少ない存在だ。

彼が制作・監督をした最新作である『オッペンハイマー』は2024年のアカデミー賞で作品賞を受賞した。この映画は第二次世界大戦中に原爆の開発を主導したアメリカの学者オッペンハイマーを描いたものである。

2023年7月に全米をはじめとして世界各国で公開され話題となった本作だが、アメリカで公開された当時は日本公開の見通しがなく、2024年3月29日にやっと日本公開された。心待ちにしていた分、ドキドキしながら鑑賞してきた。

優れた映画を観る悦びに包まれる体験

た、たのしい……!

作品を観ている間、私が感じていたのはこの言葉に尽きる。本作は大人が楽しめるエンターテイメントとして最高の出来だった。

話にあっと驚く展開があるわけではない。時系列が複数存在するので少し考える部分があるが、ほかのノーラン映画と比べると構造は単純だった。原爆の開発と投下、オッペンハイマーの政治的に微妙な立ち位置、いち科学者の抱えきれない葛藤、功績を残せなかった人間の妬み、複雑な男女の関係、etc…描かれる題材は決して楽しいものではない。だが、オッペンハイマーとそれを取り巻く人間模様が丁寧に描かれており、緊張感や情熱、嫉妬、後悔などあらゆる感情の波に没入できるのはまさに映画を観る悦びだった。

特にオッペンハイマーを演じたキリアン・マーフィー氏の演技はすばらしい。オッペンハイマーの意志が強く神経の細い人柄を完璧に表現していた。俳優というのは顔のシワ1つ1つまでを使ってその人物を演じるのだなぁと感動しながら、大画面に映し出される彼の表情を食い入るように見た。本作はIMAXカメラで撮った人物のアップが多用されている「人間の顔」で勝負した映画だ。

映画に身を投じて劇中に潜っていく感覚は、単純に楽しい。難解だという噂や題材の重さで鑑賞を躊躇している方がいたら、心配無用。俳優の顔を見ていれば十分に楽しめるはずだ。

ギリシア神話のプロメテウスに重ねられたオッペンハイマー象

少しだけ、映画の大枠のメッセージを掬い上げるうえで重要だと思った部分を書いておきたい。

映画『オッペンハイマー』は『AmericanPrometheus:The Triumph and Tragedy of J.Robert Oppenheimer(アメリカン・プロメテウス:J・ロバート・オッペンハイマーの勝利と悲劇)』という本を原作としている。原作の原題と同様に、映画はオッペンハイマーがギリシア神話の登場人物プロメテウスに重ねられるところから始まる。

日本では原作は『オッペンハイマー:「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』というタイトルになっており、馴染みのないプロメテウスという単語が消されている。映画の中でもプロメテウスの詳しい説明はなく、まったく知らないと映画自体がオッペンハイマーや原爆をどう扱っているか捉えにくいかと思うので少し説明しよう。

プロメテウスは、ギリシア神話の中で人間から火を取り上げた神ゼウスから火を盗み、再び人間へ火を渡した英雄である。

プロメテウスのおかげで人間の文明は発達したが、火を手にしたことで人は武器を作り、戦争を始めた。神ゼウスはプロメテウスの仕業に怒り、火を盗み人間に与えた罰として彼を岩山につなぎ、生きたまま鷲に肝臓をついばませた。プロメテウスは不死の神族である。鷲に食べられた肝臓は一晩で完治し、翌日にはまた同じ拷問が繰り返される。

プロメテウスは「人類のため」と思って人々に火を与えたが、結局は未来永劫に繰り返される戦争のきっかけとなった。そして自らの罪に対する罰として、長く苦しい拷問を受け続けることになる。

オッペンハイマーはユダヤ系のアメリカ人だ。二次対戦中にナチスが原爆の開発をしていると聞き「同胞を虐殺しているナチスがもしアメリカより先に核爆弾を作ればどんな非道な使い方をするか……それだけは絶対に阻止しよう」というモチベーションで原爆開発に携わる。

しかし、オッペンハイマーが指揮した原爆の開発は、結果的に人類に脅威をもたらした。彼が自らがもたらしたことの顛末に苦しんだ姿が、プロメテウスに重ねられているのだ。

ヒロシマ・ナガサキの描写がない問題への見解

ナチスに原爆を使わせないために原爆を開発していたオッペンハイマーだが、結局はアメリカはナチスドイツに勝利したあと、日本に原爆を投下する。

実際に投下した結果どうなったのか、映画では被害の描写がない。原爆投下の結果を描かなかったことについては、日本だけではなくアメリカでも賛否が分かれた部分だ。

映画に描かれていたのは、原爆の開発に関わった多くの学者が原爆投下に反対する中、オッペンハイマーは投下に反対をしなかったこと。原爆が実際に投下されたのを彼はラジオ放送で知ったこと。そして、原爆が投下されたヒロシマ・ナガサキの写真から彼が目をそらす様子だ。

ノーラン監督はヒロシマ・ナガサキの惨状を映し出さなかった理由を「オッペンハイマーの経験から逸脱することはしたくありませんでした」(NHK国際ニュースナビ「映画『オッペンハイマー』クリストファー・ノーラン監督に聞く」)と語っている。

ただ、映画ではオッペンハイマーが日本の原爆投下後の被害の状況を写した写真から目を逸らすシーンが出てくる。彼は「見たもの」から視線を逸らしたのだ。ということは、彼の体験として彼が一瞬でも目にしたヒロシマ・ナガサキの写真を入れられたのではないかと思う。

私は「原爆の脅威を伝えたいなら不十分にもほどがある」と白けたと同時に、日本の被害を出さなかったことは映画にとって正解だとも思っている。

みなさんは、ヒロシマ・ナガサキに起きたことをどれくらい知っているだろうか。私は子どものころ、原爆資料館で見た数々の資料に激しくショックを受けかなりトラウマになっている。私が目にしたことがあるのは、おそらくまだ刺激が弱く、見る側に配慮してあるものであるはずだが、それでも心に深い傷を負った。

被爆地の写真はあまりにインパクトが大きい。見る人に核の脅威を伝えたいなら、被爆の被害を写した1枚の写真を見せればいい。その写真は一瞬で人々の心に焼きついて消えないはずだ。映画の内容など吹き飛んでしまう人も多いのではないかと思う。それではオッペンハイマーの経験を3時間の映画にする意味自体がなくなる。だからこそ『オッペンハイマー』をオッペンハイマーの主観に没入させる映画として成り立たせるには、ヒロシマ・ナガサキの描写は省かざるを得ないような気がする。

少し話が逸れるが、この映画には何度も「大気引火」がでてきた。原爆が爆発する際に、大気に引火して地球全体が炎に包まれるイメージ映像だ。核爆発の際に大気引火する可能性は≒ゼロ、限りなくゼロに近いがないとは言い切れない。

原爆が開発され、投下される過程で度々大気引火のイメージを映し出すことで、大気引火が「いつか起きるかもしれないこと」ではなく原爆の開発された時点で引き起こされる運命が決定してしまったような、人類が原爆を持ってしまったことに対する危機感を煽るような演出になっている。ノーランにとって重要なのはあくまで「今後の核利用への危機感」であって、ヒロシマ・ナガサキがあの日体験したことはもう過ぎたこととして扱われている感じが否めなく、そこはモヤモヤしてしまった部分でもある。

ヒロシマ・ナガサキの様子以外にも、放射能の影響や、核爆弾の開発過程で行われた非道な実験の数々など、オッペンハイマーが知っていたはずなのに映画で描かれていない部分は多い。

とはいえ、アメリカ映画が原爆を真正面から描いたことに私は驚きを隠せない。こんなものは今まで見たことがない。2016年、アメリカの大統領が広島の平和記念公園を訪問したとき、落とした側の呵責など1ミリもないスピーチを聞いて「まぁこの人が落としたわけではないからね」と思いつつも腑に落ちない気持ちがあった。特定の人間が原爆開発を指揮し、投下を支持し、後悔をしたのだという事実をアメリカ映画で描いている(主演も監督もアメリカ人ではないが)のは非常に画期的なことだ。この映画が作られたこと、それが日本公開され、映画館で観られたことをかなりポジティブに捉えている。

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こばやし ななこ

食と映画と本とおしゃべりを愛するフリーライター。ニュース記事からコラム、ストーリープロット、脚本まで幅広いジャンルを執筆。恥の多い人生を更新している。

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