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コラム

憎しみの矛先を決めるのは誰か|短編映画『SKIN』を見逃すな

憎しみの連鎖を断ち切るしかないのだと人々は言うけれど、目の前で大事な人が暴行されたり、連れ去られたり、殺されたりした場合に、あなたはその憎しみを抱えながらも、振りかざした拳をそっと降ろし、その硬く握られた指一本一本をゆっくりと解くことができるだろうか?そんなことが何度も繰り返されたら、果たしてどうだろうか?やられたらやり返すでは何も解決しない、冷静になればそう思える人間であっても、いざ自分がその身になった時、憎しみの矛先を一体どこに向けるのだろう?

『SKIN 短編』(C)NEW NATIVE PICTURES

短編映画『SKIN』で描かれるのは、如何にしてレイシストは生まれていくのかということ。主人公の少年・トロイの父親は非常に短絡的かつ偏向的で、人を肌の色で判断するレイシストだ。彼の行動や言動から判断するに、特に明確な理由もなく「黒人に人権なんてない」とナチュラルに思っている。そこに正しさは一ミリもないが、そんな父の背中を見て育つトロイの目にはどう映ったか。そんな父親を待ち受ける仕打ちを見て、トロイはどう思ったか。彼の中でなんとなく凝固し始めていた偏見やレイシズムが、誰にも砕かれることがないほど確かなものになった頃、この映画は幕を閉じる。トロイ、どうしてそんなことをしてしまったの?観た人はそう思うかもしれない。そして瞬時にこう思い直すだろう、ああ、彼はそうするしかなかった。そうするように育てられてきたのだから、と。父親の浅はかなレイシズムも、息子にとっては正しさとして映っていたのだから、と。

憎しみの矛先を決めるのは誰か。憎しみを抱えた本人、だけではないだろう。誰しも一人で生きてきたわけではない。何人もの言葉や行動、心が重なって人は成り立っていく。右も左もわからぬ子供たちは殊更である。彼らにとっては大人が指標で、答え合わせをしてくれるのも大人だ。彼らに教育を与えられるのは私たち大人しかいないのだから。

『SKIN 短編』(C)NEW NATIVE PICTURES

未来ある子供たちが、引き金を引くという選択肢を選ばなければならなかった時、その責任は私たち大人側にある。そして、引き金を引くという選択肢以外を教える責任も、私たち大人側にある。憎しみの矛先を決めるのは、誰なのか。そしてその憎しみの芽を摘むために、私たちはどうするべきなのか。短編映画版『SKIN』は、NETFLIXでの配信が2023年12月末で終了する予定であるため、それまでにぜひチェックしてほしい。

■作品情報
『SKIN 短編』
2018年製作/21分/G/アメリカ
原題:Skin
監督:ガイ・ナティーブ
配給:コピアポア・フィルム
劇場公開日:2020年6月26日

記事トップ画像:『SKIN 短編』(C)NEW NATIVE PICTURES

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青山文

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