※この記事は『もっと遠くへ行こう。』の内容に触れているので、未視聴の方はご注意ください。
映画ファンの間で多くの話題を呼んだ『もう終わりにしよう。』の原作者、イアン・リードによる小説『もっと遠くへ行こう。』(原題:FOE)が、Amazon Prime Videoにて1月5日(金)より配信された。 主演を務めたのは、ポール・メスカルとシアーシャ・ローナン。『もう終わりにしよう。』と同様に居心地の悪い不穏さが終始渦巻くSFスリラーだ。
舞台となるのは、人間による環境破壊が進んだ2065年。シアーシャ・ローナン演じる妻・ヘンと、ポール・メスカル演じる夫・ジュニアは、人里離れた古い家に住み、細やかながら農業を営み暮らしていた。しかし、アーロン・ピエール扮する見知らぬ男が家を訪れ、ジュニアが宇宙移住の候補者に選ばれたと告げられる。
この映画は、地球と宇宙で離れ離れになってしまう可哀想な二人、を描いた物語ではない。ジュニアが宇宙移住の候補者に選ばれてしまったことは、二人の関係性が変わっていく——あるいはすでに変わっていたという事実が、砂に埋もれた何かが風に吹かれ晒されていくかのように、明らかになっていく——ことのきっかけに過ぎない。宇宙へと旅立つ夫の代わりには、本人そっくりのAIが用意され、まるで何も変わっていないかの如く働き、食べて、愛し合って、眠る。そんな穏やかに見える日々の水面下で、夫婦の歪さは増していき、妻・ヘンの抱えていた「私」が「私」として生きていくことへの疑問と欲望も浮かび上がってくる。
「この農場と家と暮らしこそ俺たちの人生だ」と語る夫・ジュニアにとって、ヘンは愛する妻であることは間違いなく、この夫婦は紛れもなく愛し合って生きてきた。しかし、ジュニアにとってのヘンは愛妻であるのと同時に、「この農場と家と暮らし」における一つのピースでしかない。そして人里離れた荒野にぽつんと建った彼らの住まいは、ジュニアが思うように掌るドールハウスでしかないのだ。ジュニアが「よそは君には合わない」、「外には何もない」とヘンに伝えるのは、彼のドールハウス遊びに欠かせないヘンを、これまで通りドールハウスに縛り付けたい欲望が発露した結果であり、ヘンの「個」への欲望を確固たるものにするトリガーでもあるだろう。
作中では、ヘンがピアノを演奏する様子が度々流れる。しかしジュニアは、彼女がピアノを引くことを嫌がっているため、ピアノは地下室へと仕舞われ普段の生活では顔を出さない。ヘンは、どこかに逃げるかのように地下室へ向かい、鍵盤にそっと指を乗せる。夫のドールではなく彼女自身として過ごせる貴重な時間が、美しい旋律に乗って流れていく。ジュニアがなぜヘンにピアノを引いてほしくないのか、その理由について彼女は次のように語る。「音楽の中の何かが怖いのかも/失ったもの/愛情/希望/私にとって一番大切な好奇心」。そして、ヘン自身はAIに代替されていないにもかかわらず、「まるで別人に置き換えられた気分」、「私は自分らしさを失った」「自分の理想も取り戻せないかもと怖くなる」と溢すのだ。誰かの代わりにAIが送られてくるように、一人の人間であるヘンもまた、まるで代替可能な存在の如く扱われてきた。ジュニアの思うシナリオから一歩もはみ出すことのできないヘンは、人の手でプログラミングされたAIと何ら異なることはない。そしてどちらにおいても、エラーは起こりうる。予期せぬ出来事が起こりうるリスクを常に孕んでいる。
ヘンがAIとしてのジュニアを愛してしまうことは、彼らにとって予想外の出来事であった。しかし、ヘンにとっては避けられない出来事でもあった。本物の代替品としてやってきたAIのジュニアは、地下室でピアノを引くヘンの横に座り、そっと身体を寄せる。彼はジュニア本人にそっくりなAIでしかなく、ジュニア本人には絶対になれない。だからこそ、彼女の個が放たれるその時をじっと受け入れられるのだ。二人でデートをすれば、「どこかへ消えてしまおうか」とヘンの耳元で囁く。この台詞は、ジュニア本人から聞くことはできないだろう。ジュニアにとっては「この農場と家と暮らしこそ俺たちの人生」であり、どこかに行くことなど微塵も考えられないからである。本物のジュニアは、理想とするドールハウス遊びを続けたいだけであり、ヘンとの、あるいはヘンの幸せなど考えていないのだ。
繰り返しになるが、ヘンはジュニアの考える「この農場と家と暮らし」における一つのピースでしかなく、ヘンも一人の人間であるという事実は都合よくかき消されている。そんな暮らしの中でヘンは、「私」としての輪郭が徐々にぼやけていくことを感じ取っていた。その結果、文字一つない手紙を残し、「私」としての輪郭を取り戻すべく家を発つ。
私はこの映画のラストを、清々しいハッピーエンドであるように思う。最後に聞きたい。あなたの今いる場所は、自分の輪郭が色濃く縁取られているだろうか?
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