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「美しくない」という美について~海猫沢めろん『夏の方舟』レビュー

海猫沢めろんの『夏の方舟』を読了した。

夏に読み始めていつしか冬になっていた。それでもこの物語世界の中にある、禁忌的で閉塞的な空間に生きる夏は十分に感じられた。

私は「島」という居住空間に潜む、人間同士のつながりの濃さとそれが浮き彫りにする人間という生き物の持つどろっとしたものが好きだ。
つまりは「誰と誰が結婚しただとか離婚しただとか、島を離れるだとかを島民のほぼ全員が知っているという状態」。閉鎖的なコミューンの中で培養されていく、不健全で陰湿な人間関係。都会の人間からすれば明らかに異様だし、世帯ごとに殻の中に閉じこもるような生活を送っている都会人たちには理解の出来ない関係性だろう。「他人は他人」、そうやって生きることの出来ない島という居住区域特有の一心同体感。それはしばしば文学作品の中にも登場する。因習やしきたりに縛られたり、婚姻や親族という呪縛に囚われ喘ぐように生きる登場人物たち。文を書くことを生業とする者たちは、結局はそういう、人間の闇みたいなものを文章で表現したがるし、それを好き好んで読む人間もいる。人間とはそういう欲をはらんだ生き物であり、それは本作の中に登場するどろどろとした愛憎渦巻く人間たちと何ら変わらないのだ。

この作品にはBOXが度々登場する。電話ボックス、懺悔室、鍵のかかった部屋、セックスドールを製造する工房、クラブ「S」、教室。
閉じ込められた人間の吐く生温かい吐息を感じて、背筋が粟立つ感触。嫌いじゃない。そういうところに恍惚としてしまう。人間の欲とは、なんて醜くて蠱惑的なのだろうと感じ入ると同時に、嫌悪感に似た、されど病みつきになりそうな感覚に襲われる。
帯で乙一が「この小説に女性器は存在しない」というインパクトのある紹介をしている通り、表題作の『夏の方舟』には殆ど女性が登場しない。男が男に劣情をおぼえ、嫉妬し、憎み合い……といった修羅場のような人間関係を、ほぼほぼ男という生き物だけで描いている稀有な物語だ。

大体そういうものの定石といったら男と女であるし、それはどこにいっても世界共通項のように感じられる。ただこの作品だけが異様に、男だけを登場させ、男だけを底なしの苦痛と快楽に堕とし込んでいる。やはりこの物語はBOX(箱)のように閉塞的だ。蠱惑的でエロティックなまでに、どこまでも”限られて”いる。

作者の海猫沢めろん氏について、前々からその独特な作風に魅了されてはいたものの、どんな人物なのかを知らないままでいた。巻末の著者紹介を見て、元ホストだったことを知った。ああ、と私は少し納得できた。ホストという、愛とか恋とかを生業にしている人だからこそ、この物語は描けたのだろうと。
本作が放つ愛の多様性は多岐にわたる。暴力的な描写も多く、目を背けたくなるようなシーンも随所にある。だけれど不思議とすんなり読めてしまう自分がいて、「美しくない!」と叫びたくなるようなヌメッとした描写でさえ、ある種のサディスティック・マゾヒスティック、インモラル、アウトローな美しさを感じざるをえない。真夜中にネオンが存在意義そのもののように光る街でさまざまな愛と対峙してきたであろう作者だからこそ描けるものだというとてつもない説得力と描写力を、この作品に感じる。

美しくない芸術というものはそもそも「美」という定義を確実に定義しえないように、それ自体が受け手への問いかけとなって存在している気がする。どんなに汚れていても芸術といったら芸術だ。道端にクラゲのように打ち捨てられた使用済みのコンドームに「成れの果て」と題を付けて額に飾ったらきっとそれは芸術になるだろう。
本作にも私はそのような感想を持った。
これを「汚い」「醜い」「悪気がする」「吐き気を催す」と評価する人間はたくさんいるだろう。それでもその中にある、ある種の美しさの可能性はゼロではないし、私なんかは本作のありとあらゆる場面でその美しさの欠片を見た気でいる。刺青のくだりや、電話ボックスのくだりに、どこかしらが欠損した痛ましい美がひっそりと息をしている。

この限定的な「美しくない美」を、「男たちが醜く絡み合う中の美」を見つけられた人と語り合いたい。
物語に登場する、女とも男ともつかない、黒坂聖という人間について何時間でも語りたい。
彼はもしかしてすべての俗物をその肉体で肯定しているミューズなのではないか?
大人になった彼が、大人という存在を「可能性を打ち捨てられた子供」と言ったことについてどう思う?

黒坂聖は人を狂わせた。そういう男が好きだ。
人なんて欲望に狂わなければただ「息をして心臓を動かしているだけの人間」だ。
欲望を抱きたい。美しくない美を探しに、宇田川町へ行きたい。孤島にも行きたい。

この本は欲望を思い出させる本だ。扱いには注意してもらいたい。
「醜い人間」になりたいと思う時だけ、そっと表紙を開き、その中の真っ赤な遊び紙を見て興奮してほしい。

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安藤エヌ

日芸文芸学科卒ライター。映画と音楽を中心に評論、レビュー、コラム等を執筆。「今」触れられるカルチャーについて、新たな価値観と現代に生きる視点で文章を書くことを得意とする。

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