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『角を曲がる』を歌う平手友梨奈のいる世界は美しいのだ、ということ

2019/9/20/0:00、SNSにアップされたソロ曲「角を曲がる」MVでの平手友梨奈の姿を、私たちはいつまでも忘れないだろう。

2019/9/18、19に東京ドームで行われた「欅坂46 LIVE at 東京ドーム ~ARENA TOUR 2019 FINAL~」。そこで彼女が発した「僕は嫌だ!」という叫び。彼女たちがパフォーマンスする中でも激しさの段違いな、チームの魂が真っ赤に染まるこの曲を生で見て、聴けたオーディエンスの感動はいうまでもないだろう。
そして平手友梨奈は公演のWアンコールで、主演を務めた映画『響-HIBIKI-』の主題歌でありソロ曲である『角を曲がる』を歌い上げた。

ライブの熱気も冷めやらない中、公式ツイッターでアップされた『角を曲がる』のMV。そこには私の知っている平手友梨奈がいたし、私の知らない平手友梨奈も同時に存在していた。
彼女はいつもそうだ。新しくリリースされる曲やMVごとに、今までの「平手友梨奈という存在」が築き上げてきた唯一無二の表現を巻き戻して(リプレイして)、纏い、表現をしているのに対し、ファンが知らないような顔も多重的に見せてくる人物なのだ。

私の知っている彼女というのはこうだ。
苦しそうにしていて、ある時は床に突っ伏し、のたうちまわっている。目に何か憎しみのようなものを宿していて、それがこちらの心臓のど真ん中を射抜いてくる。まるで見透かすように。「あなたも生きづらいんでしょう?」と、自分の抱いている苦しみを必死に隠そうとしている人間を引きずり出すように。

私の知らない、『角を曲がる』での彼女はこうだった。
許された顔をしていた。唇には笑みが浮かんでいた。スカートがふわりと宙に翻り、大事そうに胸に手を合わせていた。苦しそうにしている自分自身の前で、光の中で踊っていた。
曲の最後で、見たことがないほど穏やかな表情をしてみせた彼女を見て、平手友梨奈という表現者はまた新たなフェーズに入ったのかもしれない、と思った。同時に、彼女の中で決定的に何かが「剥がれた」、「抜け落ちた」ことも感じ取ることができた。それは彼女のことを今まで苦しめてきた、どす黒い、得体の知れない「何か」であり、そして彼女を生かし、ステージに立たせてきた「何か」なのだということも。

苦と楽、対となった平手友梨奈を見て、私は思った。どちらも彼女にしか出来ない表現だと。それを人はしばしば、唯一無二という言葉で表現する。確かに彼女はこれ以上ないほど特殊で異質で特別で、その個性は誰に引き渡してもならないものだと思う。

だけど、この「平手友梨奈」という存在が、もし異なる形で世界に存在していたら?という考えが私の頭に過った。苦しみで破裂してしまいそうな身体。今にも叫び出さないと消滅してしまいそうな心。
こんなものを抱えて生きている人間が、アイドルとして、欅坂46のセンターとして存在していた世界は、もしかしたらそれこそが唯一無二なのではないか。
平手友梨奈こそが特別である、それは分かっている。私は彼女が好きだ。だけど、私が彼女を知ったのは、その表現に心底惚れ込むことが出来たのは、彼女がこうしてアイドルという肩書を自ら選択してネットの海やサイリウムの満ちるライブ会場でパフォーマンスをしてくれていたからだ。

彼女の胸の内に潜む苦しみについて、勝手な想像をしたり、どの程度のものでどんなものなのかを推し量るようなことは決してしたくないのだけれど、少なくとも同じような生きづらさを抱えている私だからこそ、こんなにも胸を打ち、ただ美しいと感じるものがあるのだと思う。

だからこそ言いたいのは、「平手友梨奈として、私の前で踊ってくれてありがとう」ということなのだ。
私はイメージする。薄暗い夕暮れの部屋で、彼女が人知れず絶叫しているような世界を。平手友梨奈だけど、そうじゃない。制服を着ていない。踊ったりもしない。ただじっと耐えるようにうずくまり、夜が来るのを待つ。
瞼を閉じると不安で眠れないから、外に出る。誰もいないだろうと思っていた真夜中、同じような人にすれ違う。ああ、と思う。実存がゆらぐ。苦しくて仕方がない。どうしようもない。

そして、角を曲がる。

それを歌っているのが平手友梨奈なのだ、ということ。私はそれこそが夜明けに似た美しさだと思う。この世界を好きでいたくなる。私にとっての本当の美しさとは、彼女が彼女として今、ここにいて、『角を曲がる』を歌い、踊り、最後に柔らかく、泣きそうに微笑んでくれたことなのだ。

美しい世界を見た。
だから生きようと思った。がむしゃらに、胸をかきむしりながらでも。
彼女の姿を思うと、角を曲がった先に何も無くてもいいとすら思う。
生きていれば何度だって、角を曲がれるから。

これからも絶え間なく美しくなっていく「平手友梨奈」を、瞬きせずに見ていたい。
腕にまとわりついて離れない有象無象の影がうごめく世界で、私はそう願うのだ。

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安藤エヌ

日芸文芸学科卒ライター。映画と音楽を中心に評論、レビュー、コラム等を執筆。「今」触れられるカルチャーについて、新たな価値観と現代に生きる視点で文章を書くことを得意とする。

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