“おとな”になるとは、様々な経験をしていくこと。その経験によって、より複雑な考え方をしてしまい、“まわり道”になってしまうこともある。
映画『おとなの恋は、まわり道』は、ちょっと捻くれた男女2人が出会うというシンプルな物語。ずっと終わらない2人だけの会話、周りの人が背景になってしまうような2人だけの世界に入り込むことができる作品だ。
キアヌ・リーブス演じるフランクは、異父兄弟キースの結婚式に向かう途中の空港で、ウィノナ・ライダー演じるリンジーに出会う。彼女は、元婚約者の結婚式に出席しようとしていたところだった。軽快な会話を交わすうちに明らかになるのは「フランクの異父兄弟=リンジーの元婚約者」ということ。なんと、同じ結婚式に向かっていたのだ。
人生を諦めているというより、他人と自分の距離をとっている捻くれ者の2人は、よりによってホテルの部屋は隣で、ディナーの席も隣同士。『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』シリーズのように純粋な恋愛ではないところが、この作品の魅力だ。
本編中2人はずっと文句を言っているが、なぜか不快ではない。自分もどこか彼らと同じ思いを抱いているからではないか?という思いにすらなってしまう。まるで、カフェで隣の席になった奥様方が、たまった愚痴を吐き出しているのに思わず耳を傾けてしまっているような感覚に陥る。「リゾート婚は傲慢だよ」「主役の2人は幻の幸せに気づいてない」と言いながらワイナリーを見学し、親の悪口を言いながら屋外ゲームを楽しむのだ。
そんなこんなで彼らの動向を観続けていると、2人は猛獣に遭遇する。なんとか逃げ切ったものの、吊り橋効果なのか、拒否し合いながらもキスをし始める。
「こういう前向きな行為に身を任せられない」
「長いこと人生は最悪だと思ってた。だから今混乱してる」
「プレッシャーも」
「いい人生を目指すとプレッシャーが大きすぎる」
人生では何事にも期待し過ぎない方がいいという言葉をよく聞く。しかしこの2人は、自分の人生はこんなものだと諦めてしまっているがために、想定外のことが起きると前に進めなくなっていた。最終的にリンジーは酔っ払いながら「なぜ人は生きるの?」という根本的な問いにたどり着く。「つながりは必ず壊れる。築き上げた物は焼失する。人生が無意味ならなぜ生きるの?」と。
他人の生き方に文句を言うわりに、自分の人生に向き合えていない姿がリアルで、それが2人の愛おしいところでもある。大人になるといろいろ考えてしまいピュアな人間ではなくなるが、心では純粋な愛を求めているのかもしれない。他人に期待しなくとも、自分のことを愛してくれる人と過ごして、自分のことも愛して生きていきたいと、筆者はこの作品を観て思った。
結婚式の“主役”ではなく、“出席者”に焦点を当てた本作。もちろん新郎新婦の幸せを心から願う人もいるだろうが、あなたの隣の席に座った人は、フランクとリンジーのように偏屈な心の持ち主かもしれない。この作品を観た後、結婚式に出席したら、「いろんな事情を抱えて出席をしている人もいるかも」と想像してしまうに違いない。
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