私の考え事が捗るのは、熱いお湯に浸かるお風呂でも、退勤中のほどよく混んでいる電車の中でもなく、ベッドの上で布団にくるまっている時だ。絶対的な「守り」に包まれていると感じる。外の世界から帰ってきて、ぬるりと脱皮をし、もぐりこむ布団は誰よりも優しく温かい。頭の中がゆっくりとほどけていくのを感じるその瞬間が、最もグッドアイディアがひらめく時だ。
布団の中の体温でぬくもった空間は、自分だけのものである。何者にもそこには入り込めない。自分の肌から放出された、生きている証拠であたたまった布団の中で、何を感じ、気付き、わかるのかも自由だ。数年前、仕事ではなく趣味で小説を書いていたときは、もっぱら就寝中に思いついた物語を書いていた。ちょっと不思議で、他愛のない、だけど愛おしい物語たちの断片を思い出しながら、駅前の喫茶店で言葉にして紡ぐのが好きだった。
眠る前は、無限に思考がひろがる。布団の内側の、クリーム色の皺を数えだしてもいい。潜水艦ごっこをしてもいい。猫と一緒に遊んだって眠ったっていい。ここは王様の部屋。危ないものや、不安要素からは、羽毛戦士が闘って倒してくれる。羽毛戦士に、小さなまち針ほどの心ない言葉をもってして闘いを挑んでも、ふんわりした羽毛は、それを柔らかく跳ね返す。到底、王様である自分のもとには届かないのだ。羽毛戦士は強い。毛布先輩も頼れる兄貴だ。マットくんも、悲しみでしおしおになった重たい私を支えてくれる。だから私は、安心しきって、物事を考えることが出来る。
狭い布団の中という空間で、私の思考はときおり、宇宙にまで行く。夢と現実の境の、奇妙な光景を見る。私にとってはそのすべての光景が素っ頓狂でおもしろく、ああ、これは早く文字に起こさなければと焦る。硝子窓のわきに、鉢も無いまま自立しているデイジーの花の、オレンジが、はっとするほど鮮やかだったのを、布団のすそからペンをひっつかんで模写しようとする。布団というアトリエの唯一の欠点は、机が無いこと、そして諸々を描き出すには不向きな構造をしていることだ。改造すれば良いのでは、とも思ったが、そうするとひねもすベッドの上で暮らすことになる。ダメ人間。いいや、感性においてはダメじゃない。死んでない、私のこころは。
私は傷つきやすい心を持っている。身体も丈夫じゃない。だからこそ、自分に一番適した、イメージの抽出場所を見つけた。私の好きなその場所は、窓の真横で、冬は寒く、夏は暑い。けれど、布団だけは永久不変に、私に安心をもたらしてくれる。
何かを創ろうとしている人には、そういう場所が必要なのだと思う。素敵な夢が見られる、今日と明日の狭間が。
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